コラム
2015/01/07

Vol.7 忘れ去られたマナー vs 日本人の心

このブログを書いた人
住宅スタッフ(住宅ライフスタイル事業部)

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— 大層なタイトルで始まりました第7回目の「カヤノ的思考」ですが、今回のテーマは社長が、最近、体験された、何と言うか、実話からですね。

 ええ、そうです。

— 具体的には出張で東京に行かれた際に、電車の隣に座った女性がずっと鏡を眺めながらメイクをしていたと。

ええ、それもコンパクトというレベルではなく、本当に大きな鏡ですよ(笑)。(ジェスチャーからは、およそA4用紙ほどの大きさ)

— 洗面所の壁に掛かっているような?

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そうです。私の隣に座った途端に、大きなカバンからその巨大な鏡を取り出して、ずっと眺めているわけです。

— 不快でしたか?

不快とはちょっと違いますね。何と言いますか、私の頭では想定外の姿だったものですから、単純に驚きました。まあ、ご自身で買われた座席ですから何をしてもいいとは思いますが・・・。

— モラルハザードだと?

そこまで大層な話ではないのですが、鏡を眺めながら美しくなろうとしているのに、その姿を客観的に捉えたときには全く美しくないという矛盾と言いますか、どこか本質を忘れているような気がしました。何しろ、こんな大きな鏡ですから。(鏡の大きさがさっきよりも大きくなっている・・・)

— なるほど。僕も最近同じような体験をしました。高速バスで仙台へ行ってきたのですが、僕の隣に座った50代くらいの男性が荷物とジャンパーを座席の上の棚に上げたんです。そこまでは、いいんです。公共の場ですから。でも、棚に上げたはずのジャンパーの袖が、僕の頭の上ギリギリに垂れ下がっているんですね。そして、その人は読書を始めたんです。僕も本を読もうと思っていたんですけど、袖の揺れが気になって集中出来ない。

辛い場面ですね。

— どう考えたって袖が垂れ下がっているのは分かっているはずなんです。

どのような方でした?

— 横目で何の本を読んでいるか盗み見したんですけど、土木建築の構造理論が書かれている難しそうな本でした。

もしかしたら、その方はジャンパーの袖が垂れ下がっていること、そして、それを隣の人が不快に思っていることを感じてないかも知れませんね。

— 僕もそう思いました。「あ、この人はサービス業の人ではないな。」って。でも、さっきの社長のお話ではないですが、そういうのって教えれるものではないと思うんです。どう考えたって、僕より年上の人でしたし、その人に向かって何て注意をしたらいいんだろうみたいな。

口にしてもいいのではないですかね。公共の場で他の人に迷惑を掛けている、明らかに、通念的なモラルを破っている。それは、注意しないと分かりません。

— 社長は鏡の女性に何か言ったんですか?

いえいえ、注意はしませんでした(笑)。30分ほど迷いましたけどね。それに、その方がこれからデートだと思うと、嫌な気分にさせちゃいけないかな、と(笑)。

— 親心としては、デートを成功させてあげたい。それでも、注意すべきか、否か(笑)。

ええ。顔見知りであれば間違いなく注意をしました(笑)。

— 少し話しを戻しますが、その、社会的には法律では定められていないけれど、道徳的にというか、感覚的にそれやっちゃダメだよ、みたいな習慣というか、所作が消え掛けてます。

深刻な問題ですよ。例えば、3、4年前に中国の山間部で大きな地震がありました。当時の首相が誰だったのかは忘れましたが、災害救助活動として自衛隊を派遣しましたね。そのとき、現地に到着した自衛隊が住民の方のご遺体を発見した。ニュースにも取り上げられましたから、記憶にある方も多いと思いますが、そのとき自衛隊が何をしたか ― 。ご遺体を囲んで黙祷を捧げました。そこには、救助が間に合わなかったという悔いがあったと思います。しかし、それ以上にご遺体に対する敬意、それまで生きてこられた方への尊敬を表明したのだと私は見ました。

— 覚えてます。あの行為で、自衛隊が海外のメディアから称賛を浴びました。

そうです。でも、あれは称賛を得るための行動ではないのです。むしろ、全く逆の行為と言ってもいいでしょう。救うことが出来なかった方へ、今、この瞬間に何が出来るか。それが黙祷を捧げることだったというわけで、日本人がもともと持っている価値観、文化、伝統的、宗教的な意味、もっと言えば、日本人としての矜持です。

— 東日本大震災のときもそうでした。海外のメディアが最も驚いたのは日本人のマナーだったと。支援物資をもらうのに日本人はきちんと並びます。給水車にも並びます。そんなこと、海外じゃ考えられない。絶対に早いもんと、力がある奴が勝ち。コンビニだって荒らされる。それが、「どうして、日本人は暴動を起こさないんだ」って褒められちゃって。そりゃそうだろ、って感覚を持ちましたけど。

それが日本人なのでしょう。冒頭に申し上げた『本質』ということではないでしょうか。今回のテーマで言うならば、「日本人の心」ですね。

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— 今、新潟市のある福祉分野の委員として、定期的に分科会に参加させてもらっているんですけど、細かい話ですが新潟市では、高齢者や障がいのある方のための優先マークがついた駐車場に平気で車を停める人が多いんですって。健常者が公共の駐車場でも。そこで、新潟市は罰則規定を作ろうかってところまでいったんですけど、それには僕は反対なんです。それどっかおかしいよって。

その気持ちは何となく分かります。

— はい。そういうのって罰があるから車を停めないよってことじゃないと思うんです。罰を作ればそういう駐車は絶対に減ります。でも、「あなた、本気でそこのスペースを空けようと思ってないでしょ」ってだけで、表面的なんですね。

そうですね。罰で道徳心を作ることは難しいでしょう。

— 日本人の心って何ですか?

 ひと言では言えませんね。先ほどの支援物資に列を作ること。子どもや高齢者、障がいをお持ちの方に順番を譲る。席を譲る。これは、当たり前のことです。考えなくてもいい、感性の部分だと思いますね。IQが高い低いではなく、社会で生きるための態度、覚悟のうちのひとつと言ってもいいでしょう。加えて言うなら、私は「美しさ」だと思います。

— 「美しさ」?

品とでも言えばいいでしょうか。

— 人からどう見られているか?のような・・・。

それも含めてですが、頭で考えることではないという意味です。そして、人が見てないときにこそ、所作を整えるという美しさ。「履物を揃えよ」という言質はまさに神髄を突いていると思います。

— 誰も見ていないと思っても、誰かに見られてたってこと結構あります。

例えば、道路にゴミが落ちている。そして、近くにはコンビニがある。

— ゴミを拾ってコンビニのゴミ箱へ捨てる・・・。勝手に身体が動く。

そうです。ゴミを前にして立ち止まり、「う~ん、どうしようかなぁ?」と腕を組んで考えることではないのです。

— さっさと動けって・・・・(笑)。でも、そういったことが今崩れかけている。

残念なことですね。でもそれは、我々の責任でもあります。

— 僕は教育の問題だと思います。

教育という側面で捉えるのであれば、それは国の問題ということになるでしょう。そうなると、別次元の根本的な対策が必要になりますね。

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— 生意気ですけど・・・、このところ人前で話す機会がある度に、僕は今の教育を変えるには100年掛かるって言ってるんです。本気でそう思っているので・・・。ファーストフード店のポテトのサイズがSサイズになるって、真面目な顔したキャスターがニュースで伝えてる国ってあるんですかね。

少なくとも、NHK、CNNでは流さないでしょう(笑)。

— 僕、それをTVで観たとき、ガクッときました。ありゃりゃって・・・・。

裏を返せば、そのようなネタをニュースソースにしようと決めた人がいて、それに賛同した人がいるから平気でTVに流せてしまう。私がキャスターであれば、その原稿は読みません。前のニュースソースをゆっくり読んだりして・・・。

— ブレーキをかけちゃう(笑)。

今、日本の社会は感覚の変革期でもあると思います。「日本人の心」を守ることが出来るか、それとも現状のモラルが定着してしまうのかは、今を生きる人たちに掛かっていますね。誰か強烈なブレーキ役がいなければ、モラルという目に見えないものは簡単になくなります。

— そうですね。では、今回はこの辺で・・・。社長の隣で鏡を見ていた女性のデートが成功したことを祈ります・・・。

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住宅スタッフ(住宅ライフスタイル事業部)

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